辺境荒野

なんかこう、のんびりと色々。

【日記】版権黙示録【2021/03/29】

 最近自分は「教養を付けねばならん!」と思い立っていろいろな古典作品などを読み漁っている。いつもの「三日坊主」の思い付きである。

 今回は特に西洋に凝っていて、シェイクスピアとかドストエフスキーとかに手を出した。いつまで続くやら。読み勧めている途中であるが、ドストエフスキーの「地下室の手記」はなかなか面白い。ドストエフスキーの作品には現代のダメ人間の心をくすぐる何かがある。

 古典的文学作品はとっつきにくく、読者に一定の前提となる知識を要求する、まるで大学試験のような手続きを要求するかのような高尚なものかと思いきや、案外、吸い込まれるように共感できる、いつの時代も変わらない人間の「ダメダメさ」をテーマにしている事も結構多い。

例えば、その昔国語の授業で読んだ、森鴎外の「舞姫」は、その文体を見れば明治初期の古めかしく美しくも読みづらい、いかにも「知識人の文章」というとっつきずらさを醸し出していながら、さてその内容を呼んで見れば、なんともそのいい加減な放蕩さ、無責任でダメな若者の人間臭さが出過ぎているほどで、なんじゃこりゃと思った事を思い出した。もちろん、そんな人間臭さを文学として昇華できてしまう手腕が文豪の文豪たる所以なのだろうけれど。

 

 そしてこの古典マイブームの流れで自分はなんと聖書にまで手を出している。別に信仰するつもりは全く無いのだが、西洋の文学作品を読むと、この言い回しやエピソードの元ネタは聖書、という事がとにかく多いので、基礎的な知識は付けねばならんと思った訳である。

 宗教書であるから流石に読み解くことは難しく、大部分はきちんと理解できたのか自分自身不安である、というのが本音なのだが、始終堅苦しく荘厳な文章が続くのかと思いきや、存外に楽しんで読めてしまう箇所もあった。

 創世記の後半などなんともメロドラマじみており染み入るものもあった。また、物語の中でなんとも唐突に繰り広げられるワンシーン、ヤコブという人物に突如なんと神が襲いかかり、一晩中レスリングをした挙げ句、なんとヤコブは勝ってしまい神から「イスラエル」という名を与えられるという、一体どういった感想を抱けば良いのか、もしくはツッコんでしまっても良いのだろうかというエピソードは印象深い。「面白み」と言ったら本職の方々に失礼なのだが、そういう楽しみ方も出来てしまった。

 

 さて、聖書の黙示録(世界の終わりについての話)などを読み勧めていた影響かは分からないが、自分は今日なんと「世界が終わる夢」を見てしまった。

 うーん、大昔の人が聖書をカジった後に「世界の終わりの夢」を見たら、これは何かの啓示だ!となるのかも知れないが、そこは残念、近代にフロイトはあらゆる夢は性欲に起因するとしてしまったし、夢って所詮そんなもんと人は知ってしまった時代である。

 しかし起きてから思い出してみるとこの世界の終わりの夢がまたケッサクだった。世界を救うためにスパイダーマンワンダーウーマンが出るわその偽物まで現れるわ、なんともマーベル映画じみた世界の終わりであった。

 もしも現代人に聖書的啓示が降りてきても、聖書は書けないと思った。なぜなら現代人の意識には版権商品や版権キャラクターが出てくる可能性が高すぎるからである。古代人ならパンとワインと言えても、我が家にあるのはヤマザキの食パンとイオンの赤ワインである。格好がつかない気がする。