辺境荒野

なんかこう、のんびりと色々。

【日記】「三日坊主」、あるいはドラえもんの呪い【2021/3/28】

 不定期的にエッセイっぽい日記を付けようと思い立った。

 

不定期」と冒頭一文目からさっそく言い訳をしている所が肝である。重度の三日坊主の自分は何を始めるにしても自身にも周りにも「これは不定期だから」と言い訳をするのである。困ったもんだ。

 しかし「三日坊主」という言葉を聞く度に自分はこう思うのである。「三日も続くならリッパじゃん」と。自分の場合は思い立っても続いて半日が良いところという上級坊主なのである。

 ところで「三日坊主」という言葉は、なんとも罪深いものであると思う。こんな言葉が無ければ、人は三日以上に物事を続けられるのではなかろうか。「三日坊主」という言葉の呪いに縛られているのではないだろうか。なんとも言い訳じみているが、やはり人間は言葉を使って考える生き物だから、適した言葉があってしまうとそれに縛られるのではないかなどと割とマジメに思ってもいたりする。

 言葉の呪いといえば「肩こり」は夏目漱石が発明したという話がある。「肩こり」という言葉を作ったのではなく、「肩こり」を発明したのである。どういう事かというと、夏目漱石が自身の体調から「肩こり」という言葉を発案したがために、「肩がこる」という現象を訴える人が多数現れたのだという。ホンマかいな。しかし漱石の逸話に限らずとも、それまでは限られた人が漠然と感じていた物事に対して、ウマい単語を作って表現してしまったがばかりに大勢の人々に一般化してしまった…というのはありそうな話である。

 さて「三日坊主」に話が戻るが、筆者の場合「三日坊主」という言葉に呪われた、つまりこの単語を知って自分自身に当てはめてしまったのは「ドラえもん」の影響するところが大きいのではないかと勝手に思っている。パッと思い出せる範囲の中でも「ドラえもん」の中でのび太が「三日坊主」を披露するエピソードは結構多い気がするのだ。子供の頃にドラえもんを読んで、のび太の一連の「三日坊主」を見る度に、「こういうこともあるのか」とウマい言い訳を見つけてしまった…というのがオレの主張である。いかん、なんだか「マンガが子供に与える影響」的な教育論みたいになりかけてしまった……