辺境荒野

なんかこう、のんびりと色々。

Ado「うっせぇわ」の歌詞に思うこと

【Ado】うっせぇわ

https://www.youtube.com/watch?v=Qp3b-RXtz4w

 

 最近(と言っても流行のピークは過ぎてしまったかもしれないけれど)流行った曲、ご存知Ado「うっせぇわ」。過激な歌詞で現代社会に生きる若者の内心を叫んだこの曲は様々なメディア上で賛否共に大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。何よりこの歌を歌うAdoさんは女子高生であるという事も世間を驚かせ、その事がよりこの曲を聴く若者の心を打ったのだと思う。

 筆者は20代なのだが、初めてこの曲をラジオで聞いた時、この曲の痛烈な現代社会批判というか、刺々しいまでの純粋な感情の吐露というものには多少なりとも心を動かされた事を覚えている。

 「うっせぇわ」。確かにそうだろう。この世の中のしがらみ、細々した作法、マナー人間関係、上から目線の大人たち、何もかもに、「うっせぇわ!」と言いたくなる気持ちはよく分かる。

 

 しかし、筆者はこの曲の歌詞を読んでいて、一つ気になる事があった。それは結論から言ってしまえば、昨今メディアで「うっせぇわ」の歌詞の口汚さを指摘する論調、ようするに流行り物おなじみの「子供が真似したら困る」論とも少し似ている歌詞の攻撃性についてなのであるが、筆者が言いたいのはメディアの論調とはむしろ真逆である。

 

 もっと口汚くて良い。もっと攻撃的でいいと思ったのだ。

 

 「うっせぇわ」の歌詞を一読すると、この曲を歌っているのは、やはりおそらくはしがらみの多い社会に生きている若者という所だろう。しかし、彼女(便宜的に女性とする)は「うっせぇわ」と直接面と向かって他人を口汚く罵るような真似はしないし、ましてや他者に暴力を振るうような事はしない。

 

「ちっちゃな頃から優等生

 気づいたら大人になっていた

 ナイフのような思考回路

 持ち合わせるもなく」

 

という歌詞にもあるように、おそらく彼女は表面上は常識人であるし、人当たりの良い、「良い人」なのだろう。けれども心の底では腹を立て、怒りが渦巻いている。

「表面上は良い人だが、心の底では不満を抱え、怒りさえ覚えている」

まさに、昨今の「さとり世代」とも言い表される若者の感情を代弁しているのだろう。

表にこそ出さないけれど、目の前にいる上司や先輩には、「うっせぇわ」と思っている。そんな普遍性を持った心情が若者の心を打ったということは理解に難くない。

 

 しかしながら過激なようであるが筆者はこう思う。もっと攻撃的で良いじゃないかと。端的に言えば、心に渦巻く怒りを、もっと直接的にぶつけるように表現して良いのではないかと思う。

 無論教唆をするわけではないが、歌の中であれば人をぶん殴ろうが殺そうが、社会をぶっ壊して革命を起こそうが自由である。一つ例えるならば「うっせぇわ」と比較されて最近よくメディアで取り上げられている尾崎豊の「15の夜」や「卒業」に見られる過激な歌詞(もっとも無論それが全てではなく、尾崎の言いたかったことではないのだが、尾崎の大ファンである筆者の尾崎豊論を語りだすと長くなるので割愛する)、「盗んだバイクで走り出す」「夜の校舎窓ガラス壊して回った」であるような、「下手をしたら誰かが影響を受けて真似しかねない」ような歌詞とは違い、「うっせぇわ」はそのような危うさを含んだ歌詞ではないように筆者には思えるのだ。つまり、あくまで「良い子の怒り」なのである。

 要するに何を言いたいのかと言えば、若者はもっと尖っていて良いのだという事である。さらに言えば、少し失礼な言い方になってしまうが、流行り物だからとこの程度の攻撃性の歌詞で物議を醸すような社会も社会である。

 その昔、かつて1960~70年代は学生運動というような社会変革を目指した運動の最盛期であった。その時代の若者は「うっせぇわ」と叫ぶだけに済ませず、理想の社会のために大学などを占拠し、火炎瓶を投げ、死者すら出した。無論、筆者はこれらの運動のそのような負の部分は肯定しない。けれども、本来若者のエネルギーとは、これほどまでに力強いものなのである。同じく1960~70年代には音楽においても既存の音楽、ひいては社会そのものに疑問を投げかけるようなロックやニューエイジと言ったジャンルが誕生し、広く若者に受け入れられた。音楽や映画といったメディアの力によって、特に若者を縛り付ける道徳といったような価値観は20世紀を通じて大きく変化したのである。音楽の力、若者の力とは本来時代すら変えうるものなのだ。

 だから筆者は、「うっせぇわ」に対して、怒りを内に秘め、確かでは有るが密かに収まっている攻撃性を示唆するような歌詞ではなく、毛ほどの遠慮もいらない、もっと直接的な一撃、変化の展望を表現しても良いのではないかと考える。「この世の中は間違っている」と考えつつ、世の中に違和感を持ちつつもなんとか迎合するのではなく、変化のために行動することは、若者の特権であると筆者は思う。

 

 しかしながら、時代は変化する。若者も変化し、この「うっせぇわ」が若者に人気を博したのも、やはりかつてとは変化した若者の感情を的確に代弁したものなのであろう。自分自身で言うのも変ではあるが、筆者は年齢こそまだ若いもののどこかズレた古い人間であるとは自覚している。なので肝心の、この「うっせぇわ」を聴き心を打たれた若者たちとは根本的に価値観にズレがあるのかもしれない。

 という訳で筆者が長々と書いたこの意見も、「うっせぇわ」、「くせぇ口塞げや限界です」と思われてしまっているのかもしれないが……